桜淵延命地蔵
いまからおよそ200年前、山口の町谷という所に「かね善」という染物屋がありました。
主人の善兵衛は手びろく商売をしていました。吉之助という息子がいて、
おりんという娘とむすばれました。やがておりんは男の子を産みました。
その子はよく泣きました。その泣き方がひどく、ある夜善兵衛が、
「うるさい、そんなに泣くやつは外へたたきだしてしまえ」といいました。
おりんの妹、おくらが赤ん坊を抱いて外へ出ていきました。
桜渕の土橋の近くでサァーと突風が吹いて、おくらが気づくと赤ん坊がいません。
翌朝桜渕の水の中から赤ん坊が死体になってあがりました。
その後、かね善はつぶれ善兵衛は桜渕に地蔵尊を建て、
不幸な赤ん坊のぼだいをとむらいながら世を送ったということです。