血の出る松

神社に上る斜面には、「血の出る松の跡」という石碑が残されている。  これは、言い伝えによると、豊臣秀吉の家来の浅野長政が関東の北条氏を攻めたときに、この城を攻撃し、沢山の城兵を討ち殺したことから、ここに生えている松に傷を付けると血のような赤い汁が出たそうである。現在は、その松も枯れてしまい、この石碑だけが残されている。(新しく、同じ場所に松を植えても根付かずに枯れてしまうそうである。)

大正14年に埼玉県史跡に指定された滝の城跡は、埼玉県所沢市大字城537番地に所在する。

市内の城館跡の中で最大の規模を持つ物であり、本郭より一望できる南側の風景は景勝地としても知られている。昭和47年には南側の柳瀬川の沖積地が滝の城址公園として開園し、市民の憩いの場となっている。名称については、「滝の城」「本郷城」の2つの城の名前がある。

曲がりくねった坂道の途中にある「血の出る松」の記念碑

ありしひの「血の出る松」

社務所には、今も「血の出る松」の切り株が残されている。