柳沢吉保(やなぎさわよし

 やす)の家来(けらい)で、

 吉保の命令で開発を進めた人

 です。権太夫は開発が終わっ

 た後も上富村(かみとめむ

 ら)に住み、人々の相談にの

 ってあげました。多福寺(た

 ふくじ)に残る鐘(かね)は

 権太夫がおくったもので、開

 発したときの様子や多福寺が

 建てられた理由がきざまれて

 います。