所沢の水の歴史

 所沢は、大地で大きな川がないため、水がゆたかではありません。また、とても水はけが良いので、昔から井戸をつくるには地面を深く掘らなければなりませんでした。しかも、多額のお金が必要なため、各家で井戸を持つことができませんでした。
 そのために遠くの共同井戸まで水を汲みに行かななければならず、家庭の水仕事にはたいへん苦労しました。さらには、日照りが続くと井戸水が涸れてしまうこともありました。

 昭和9年4月、所沢町は大干ばつにみまわれました。
町中の井戸が涸れて、飲み水さえ確保することができなくなってしまいました。この時は、町外から飲料水を運搬したり、所沢陸軍飛行学校から給水を受けたりして、これを切り抜けました。
 所沢町は、このことをきっかけに上水道の建設を計画し、昭和10年7月から工事が始まりました。
 そして昭和12年3月、町政史上最大の工事はみごとに完成し、その年の4月1日に町民が待ち望んでいた給水が開始されました。
       

  昭和25年11月、所沢町は所沢市となりました。また、新所沢の住宅団地の建設を皮切りに、昭和
30年代半ばから、市の人口は急激に増えました。
 地下水を水道水として利用していた所沢市では、たくさんの地下水を汲み上げたために地盤沈下が起こりました。そこで、昭和49年から、県営水道の水(県水)を取り入れました。現在では、年間配水量の約9割が県水であり、残りの約1割が地下水となっています。
 また、上水道の普及率は、現在ほぼ100%となり、とても暮らしやすくなりました。