古墳時代の所沢市
所沢市史上
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入間地方の古墳
現在確認されている古墳総数は約400基、うち前方後円墳は17基。
大部分は坂戸大地に所在している。6世紀はこが政治的中枢と考えられる。
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所沢市の古墳
山口の山下後遺跡から、二基の古墳跡が発見された。墳丘を欠失し、周溝だけが遺存。
一号古墳跡 周溝の外周が12.6メートル、木棺の規模は2.5メートルで、棺内から直刀1、耳環2、須恵器1点が出土。
二号古墳跡 周溝の外周が1.3メートル、木棺の規模不明で、棺床から耳環2点出土。
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横穴墓群
北秋津横穴墓群は8基。うち1基は、終戦間近に内野弘氏により発掘。「所沢史話」に発掘の経緯が記されている。人骨も出土。奥行き2メートル、幅1.4メートル。
残りの7基は所在調査のみで、構造や物の有無は不明。
滝の城横穴墓群は8基。発掘調査できたのが5基。総じて長い墓道を設備し、玄室は方形または台形で、小礫が敷かれてあった。人骨は2体出土。金環が5、小玉はガラス製で総数22、須恵器は堤瓶で出土。緊急発掘のため十分な調査が入らなかった。
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古墳時代の所沢
日向遺跡などの柳瀬川上流域に限られており、台地からの遺跡の検出はおそらく不可能であろう。狭山丘陵が急速に開発されたのは、古墳時代後期後半からであり、高峰遺跡に約1世紀遅れて規模も小さいお伊勢山・日向遺跡などが点在する。
五領期 4世紀
和泉期 5世紀半
鬼高期 6世紀
真間期 8世紀
国分期 9世紀 東日本の土師器の分布より
小手指中学校校庭遺跡は五領期である。