学校紹介
このページでは明峰小学校の概要や歴史をご案内します。
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学校概要
本校は所沢市の中心に位置し,航空公園駅,所沢駅,西所沢駅に隣接しています。 付近には官公庁街があり,航空公園をはじめ数多くの自然があり, 自然体験や生活体験ができる豊かな環境にあふれています。
高層住宅が数多く建ち並ぶ中,今なお農家も点在しています。
★学校の創設
開校は昭和42年4月1日。所沢小と北小のマンモス化解消の目的で,
所沢小学校区(宮本町・新井町・有楽町・喜多町・御幸町)と,
北小学校区(弥生町・松葉町・美原町・上新井)を合併して,これを通学区とする新設の小学校として開校しました。
当初の児童数880名,学級数22,職員数26人でした。
★学区域
宮本町・有楽町・御幸町・北有楽町・西所沢町・喜多町・西新井町・泉町
★開校記念日
11月30日
校歌について
明峰小学校 校歌 能登浜吉 作詞 斉藤功司 作曲 (MP3音声ファイル:2.5MB) |
一. みどりさやかな むさし野の 風も 明るく吹く 窓に 希望大きく 胸をはり みんな仲よく 学びます たのしい 明峰小学校 |
二. はるか秩父の 山なみが いつも よい子に呼びかけて 元気いっぱい ほがらかに こころやさしく 育ちます たのしい 明峰小学校 |
三. 白亜かがやく 山の上 つどう ひとみも 晴れやかに きたえ みがいた 意志強く あすの 日本を 担います たのしい 明峰小学校 |
★明峰小校歌のできるまで
明峰小の校歌は昭和44年(1969年)11月7日制定されました。 作詞 能登浜吉氏,作曲 斉藤功司氏によるものです。
平成8年に,お二人に明峰小にお越しいただき,伺ったお話をご紹介します。
校歌碑 |
作詞 能登浜吉氏(三ケ島在住) |
作曲 斉藤功司氏(狭山市在住) |
- 作詞・作曲することになった経緯を教えて下さい。
(能登) 広報で知り応募しました。
(斉藤) 作曲の勉強中,当時の鈴木教頭先生より依頼を受けました。短時間でしたので悩みながら作りました。
- 作詞された時の配慮点はどんな点ですか。
(能登) 楽しく歌ってもらいたいので,一番から三番まで「楽しい」という言葉を入れました。 校舎を「白亜」とし,当時の地名として使われていた「山の上」を入れ,分かりやすい詞を心がけました。
- 作曲された時の配慮点はどんな点ですか。
(斉藤) 言葉のアクセントに気をつけました。普通,アクセントのあるところに低い音をつけることはありません。 例えば「橋」「箸」などです。また,楽しく・明るく・のびのびと歌えるようにという点に気をつけました。 盛り上げるため「学びます」をト長調からニ長調に転調しました。
- どのような思いで校歌を作られたか教えて下さい。
(能登) 校歌は永久に残るものなので,母校・先生・友人に対するいろいろな思い出が浮かんでくるよう, 人生の応援歌として心に残るように作りました。
(斉藤) ピアノの作品として,また,作詞のイメージに合うよう作りました。
校名・校章の由来
★校名の由来
昭和41年(1966年)8月の「広報ところざわ」に学校名募集のお知らせが載り,
当時,宮本町1丁目の斎藤晶子さん(現在は関さん)の応募された「明峰」という名前に決まりました。
学校の所在地が市内でも高所にあり,しかも学区内の地名「峰の坂」にゆかりもあり,
新設校にふさわしい「明るい峰」ということで選ばれたそうです。
関晶子さん |
関さんに「明峰」と名づけられた理由を伺いました。 『明るく,のびやかに育つように。 明峰富士のように日本一の立派な人に育つように。』 |
★校章の由来
校章は昭和42年(1967年)9月25日制定されました。 開校後しばらくしてから校内募集した結果,応募は数百点に達しましたが, どれも「帯に短し,たすきに長し」で捨て難く,考慮した結果,先生方の手によって,2,3の図柄を選び出し, 「イチョウの葉2枚に明小という字を抱かせた図案」を校章としました。 特にイチョウは,植物の中でも生命力が強く,葉は肉厚で,広く葉の形も末広がりになっている特性を基にして, 明峰小学校が理想とする願いを作りました。
2枚の葉の結びは「協力」 色彩のイブシ銀は「地味」「着実」 丸味を帯びた全形は「心の円満」 ・意志 風雪に負けない意志や体の持ち主 ・心情 心が広く、情味豊かな子に ・発展 子どもも学校もその前途が洋々と ・理想 日本一の学校をめざして |
学区・校舎の変遷
★学区の変遷
★校舎の変遷
開校は昭和42年(1967年)4月1日。明峰小の校舎が,どのように移り変わっていったのかご覧ください。
校舎の移り変わりの様子