青い目の人形  
ミルドレッド−ルーチェル」


          
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ひなまつり集会 2000年3月3日(ひな祭り集会)
1988年(s63年)3月3日、はじめてのひなまつり集会が開かれました.
  ひな人形は、’87年度の卒業生が、卒業記念品として寄贈してくれましたが、予算が足りず近くにある別所人形店さんの寄付によって、七段飾りの豪華なひな人形が、飾られることとなりました。
 ひな人形を体育館ステージに飾り、「青い目の人形」もひな段のそばに飾りました。その後、毎年3月3日前後の朝会で、「ひなまつり集会」を行い、「人形をむかえる歌」と「うれしいひなまつり」の歌を歌い先生から人形の話を聞き、お祝いしています。
 今年も、3月3日(水)にひなまつり集会が開かれました。


平和の使者「青い目の人形」
 1927年(s2年)2月17日、日本郵船の天洋丸が、アメリカから12739体の「青い目の人形」をのせて、横浜港に入港した。
 第一次大戦の反省から、全世界を人類愛に満ちた平和に導くには、「子どもの時から仲良くしなければ」と、ギュウーリック博士が「世界児童親善会」を創立させた。「青い目の人形」は、その事業の一つとして行われた。
 1923年(大正12年)の関東大震災で愛する人形を消失してしまった日本の女の子の心を慰める意味で、ひな祭りに間に合うようにとプレゼントを急いだという。アメリカ全土48州の小学校、幼稚園の団体から、手作りの人形を募った。子供らは、人形の胴体をおこずかいで買って、洋服・髪・靴などを作り、名前を付けた。パスポートとともに、着替え、香水、ハンカチ、聖書、お金などを一緒に入れて、他国で困らないようにと言う優しい心も伝えられた。
 横浜に着いた人形は、日本全国の小学校、幼稚園へ分配された。日本全国では、204体埼玉県では7体現存している。(1991年現在)
 日本からも答礼人形が、渡米して、各地で歓迎を受けたという。


「青い目の人形」の受難
 1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争が起こり、「戦争に勝ち抜くためには、敵を憎み、相手をやっつける覚悟をもて」と、子ども達は教えられた。敵国の人形として、「青い目の人形」は壊してしまうようにという命令が出た。そして、多くの人形は、失われることになった。


「青い目の人形」の発見
 1986年(昭和61年)の夏、本校職員で、博物館と社会科資料室を整理していたら、箱に入った人形を見つけた。人形と一緒に英文で書かれたパスポートと、「人形を迎える歌」の楽譜が出てきた。パスポートの英語を日本語に訳すとともに、「青い目の人形」らしいということで、この人形を専門家に見てもらい、1927年に送られた人形であると確認された。



「青い目の人形」のアニメ化
 1995年(平成7年)に、「青い目の人形ものがたり」というアニメが制作されることとなった。その際、本校の人形も映させてほしいとの申し入れがあった。登場は、最後の場面である。
同年12月3日に完成記念映写会が、埼玉県平和資料館にて開かれた後、翌年1月27日、三ヶ島公民館にて、巡回映画界が開かれた。
 ほんこうでは、資料館よりビデオテープを借り、全校に放映した。
 正式名称  
平和資料館オリジナルアニメーション映画   
 「−平和の使者−  青い目の人形物語」

   
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