青い目の人形
「ミルドレッド・ルシール」

Mildred Lucille


左の写真をクリックすると、新しいウインドウが開き、ルシールの様子が御覧いただけます。
*三ヶ島小学校の「青い目の人形」の名前を、「ルーシェル」あるいは「ルーチェル」と紹介していましたが、
「ルシール」と呼ぶのが正しいようなので、平成20年度より「ルシール」と紹介しています。

 平和の使者「青い目の人形」
 1927年(昭和2年)2月17日、日本郵船の天洋丸が、アメリカから12739体の「青い目の人形」をのせて、横浜港に入港した。
 第一次大戦の反省から、全世界を人類愛に満ちた平和に導くには、「子どもの時から仲良くしなければ」と、ギューリック博士が「世界児童親善会」を創立させた。
「青い目の人形」は、その事業の一つとして行われた。
 1923年(大正12年)の関東大震災で愛する人形を消失してしまった日本の女の子の心を慰める意味で、ひな祭りに間に合うようにとプレゼントを急いだという。 
アメリカ全土48州(*)の小学校、幼稚園の団体から、手作りの人形を募った。子供らは、人形の胴体をおこずかいで買って洋服・髪・靴などを作り、名前を付けた。 
パスポートとともに、着替え、香水、ハンカチ、聖書、お金などを一緒に入れて、他国で困らないようにと言う優しい心も伝えられた。
 横浜に着いた人形は、日本全国の小学校、幼稚園へ分配された。日本からもその人形のお礼として「答礼人形」が贈られ、各地で歓迎を受けたという。

 (*)
現在のアメリカ合衆国は50州ですが、この人形が贈られた当時は48州でした。
現在、答礼人形は日本から送られた58体のうち44体がアメリカに残っているそうです。

 「青い目の人形」の受難
 1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争が起こり、「戦争に勝ち抜くためには、敵を憎み、相手をやっつける覚悟を持て。」と、子ども達は教えられた。
 「青い目の人形」は、敵国の人形として、壊されたり、児童の前で焼かれたりして、多くの人形は失われることになった。


 「青い目の人形」の発見
 1986年(昭和61年)の夏、本校職員で、博物館と社会科資料室を整理していた時、箱に入った人形を見つけた。
人形と一緒に、英文で書かれたパスポートと、「人形を迎える歌」の楽譜が出てきた。
パスポートの英語を日本語に訳すとともに、「青い目の人形」らしいということで、この人形を専門家に見てもらい、1927年に送られた人形であると確認された。

 *現在日本に残っている「青い目の人形」は323体(埼玉県では12体)といわれている。(2010年現在)

 *所沢には5体の青い目の人形が送られてきた。(所沢・吾妻・小手指・富岡・三ヶ島の各尋常小学校)


 「ひな祭り集会」について
 「ひな祭り集会」は、1988年(昭和63年)から毎年行われている。
 卒業記念品として贈られたものと、近くの別所人形店から寄贈された7段飾りの豪華なひな人形とともに、青い目の人形と、一緒に発見された日本人形を飾り、青い目の人形の由来を紹介し、「人形を迎える歌」を全校で歌っている。