*三ヶ島小学校の「青い目の人形」の名前を、「ルーシェル」あるいは「ルーチェル」と紹介していましたが、
「ルシール」と呼ぶのが正しいようなので、平成20年度より「ルシール」と紹介しています。
「青い目の人形」の受難
1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争が起こり、「戦争に勝ち抜くためには、敵を憎み、相手をやっつける覚悟を持て。」と、子ども達は教えられた。
「青い目の人形」は、敵国の人形として、壊されたり、児童の前で焼かれたりして、多くの人形は失われることになった。
「青い目の人形」の発見
1986年(昭和61年)の夏、本校職員で、博物館と社会科資料室を整理していた時、箱に入った人形を見つけた。
人形と一緒に、英文で書かれたパスポートと、「人形を迎える歌」の楽譜が出てきた。
パスポートの英語を日本語に訳すとともに、「青い目の人形」らしいということで、この人形を専門家に見てもらい、1927年に送られた人形であると確認された。
*現在日本に残っている「青い目の人形」は323体(埼玉県では12体)といわれている。(2010年現在)
*所沢には5体の青い目の人形が送られてきた。(所沢・吾妻・小手指・富岡・三ヶ島の各尋常小学校)
「ひな祭り集会」について
「ひな祭り集会」は、1988年(昭和63年)から毎年行われている。
卒業記念品として贈られたものと、近くの別所人形店から寄贈された7段飾りの豪華なひな人形とともに、青い目の人形と、一緒に発見された日本人形を飾り、青い目の人形の由来を紹介し、「人形を迎える歌」を全校で歌っている。