明 治 時 代 | |||||||||||||
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年 | 富岡小学校の主な出来事 | 社会の状況 | |||||||||||
明治4年 1871年 |
埼玉県成立(現在の埼玉県東部) | ||||||||||||
明治5年 1872年 |
学制の制定 (8月) 日本全国を八大学区、一大学区を32中学区、一中学区を210小学区とするピラミッド型の学制が制定された。 |
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明治6年 1873年 |
「富応学校」創立 [3月1日] ※下富村は中富村と連合して富応学校を創立し、第1大学区 ・第14中学区に所属 通学区は大字中富、下富とする。 |
※同時に布達された「学事奨励に関する被仰出書」で立身治産、昌業の実学主義的教育理念と国民皆学を目指すことを明らかにした。 | |||||||||||
明治8年 1875年 |
神米金字飛島野に校舎を新築し、武蔵野小学校として開校(北岩岡・北中・神米金・所沢新田の各村連合して設立)現在の西富小。 | ||||||||||||
明治9年 1876年 |
旧埼玉県と熊谷県の合併により、現在の埼玉県が成立 | ||||||||||||
明治10年 1877年 |
大字中富は別に一校を新築し、富応学校より分離、開校。 | ||||||||||||
明治12年 1879年 |
教育令により4年間に最低16ヶ月の普通教育を受けることが義務とされた。 (9月) | ||||||||||||
明治13年 1880年 |
教育令が改正され、就学年限を3年間とし義務が強化された。 (12月) | ||||||||||||
明治14年 1881年 |
校舎を新築し、「明倫学校」と称し、開校式を挙行し、通学区域は下富とする。 (10月1日) | ||||||||||||
明治19年 1886年 |
小学校令の改正により、3校(富応学校[現富岡小]、武蔵野学校[現西富小]および中富地区に開校された学校)を併合し、『化育学校』と改称。また、西富、中富の各校をそれぞれ第一、第二分教場とする。 (4月1日) | 小学校令が勅令によって公布され、尋常小学校4年、高等小学校4年として、小学校4年の義務制が確立した。 (4月) ※ 帝国大学令、師範学校令、中学校令などとほぼ同時期に初代文部大臣森有礼によって公布された。森は個人のための教育を否定し、国家のための教育を唱えた。 |
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明治22年 1889年 |
大日本帝国憲法公布 (2月) 町村制施行により、下富村・中富村・神米金村・北岩岡村・北中村を合併して『富岡村』となる。 (4月1日) |
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明治23年 1890年 |
校舎改築 (3月31日) | 教育勅語発布 (10月) | |||||||||||
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明治25年 1892年 もどる |
化育学校を廃して、『富岡村立化育尋常小学校』と改称 (4月1日) ※ 富岡村内を3学区に区分し、第一学区は第一分教場を『武蔵野尋常小学校』に、第二学区は本校、第三学区は第二分教場を『中富尋常小学校』とし、それぞれ独立。また、高等科は富岡村・安松村・所沢町とで組合を作り、組合立高等小学校として、所沢町に開校された。 |
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御影及び勅語謄本拝載 奉置所の位置は本校内において最も上位と認むる西部の室とした。 (10月31日) | |||||||||||||
明治26年 1893年 |
化育尋常小学校第1回卒業式 (3月30日) ※ 第1号 平岡栄吉 氏 証明者 初代校長 神山幸太郎先生 |
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明治27年 1894年 |
日清戦争勃発 (8月) | ||||||||||||
明治28年 1895年 |
日清講和条約調印 (4月) 川越鉄道(国分寺‐川越間)が開通し、所沢駅開業 |
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明治29年 1896年 |
校舎15坪を増築 (11月15日) | ||||||||||||
明治33年 1900年 |
初代校長 神山幸太郎先生就任(10月11日) ※ 小学校令の改正により、この年より、すべての小学校に校長が置かれることとなる。 |
小学校令改正 学齢児童の保護者は、尋常小学校の教科を修了するまで学齢児童を就学させる義務を負った。(就学年限4ヶ年、無月謝制にした。) |
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明治34年 1901年 |
従来の単級を2学級に編成 (4月1日) | ||||||||||||
明治36年 1903年 |
小学校国定教科書制度樹立 下富青年会創立 (12月1日) 団長に小学校長が就任 『富岡村青年団事情』 大正15年 新井万平氏著より |
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明治37年 1904年 |
日露戦争(2月) | ||||||||||||
明治38年 1905年 |
日露講和条約(9月) | ||||||||||||
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明治40年 1907年 |
小学校令改正 (6月) ※ 義務教育が6ヶ年に延長され 就学率が97%になった。 |
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明治41年 1908年 |
義務教育年限が6年まで延長されたため、3学級編制となる | ||||||||||||
明治42年 1909年 |
校舎45坪(間口10間、奥行き4間半)を増築 (3月31日) |
所沢郵便局に電話が開通 | |||||||||||
明治43年 1910年 |
学校園地150坪を借入 (5月12日) | ||||||||||||
明治44年 1911年 |
所沢飛行場で最初の飛行実施 富岡村 人口 1044人 戸数 152戸 |
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明治45年 1912年 |
明治天皇崩御 (7月) | ||||||||||||
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大 正 時 代 | |||||||||||||
大正2年 1913年 もどる |
富岡地区内独立校三校を併合して『富岡尋常小学校』と改称し、本校を下富、第一分校を北岩岡、第二分校を中富に置く。(4月1日) ※ 従来旧武蔵野学校に通学せし大字神米金及び所沢の尋常1、2学年児童56名を本校に収容す。本校は4学級となり、第一分教所は3学級に編制。(4月28日) ・2代校長 末広 清太郎 先生着任 (7月) |
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大正3年 1914年 |
大字神米金及び所沢の尋常3,4学年児童を本校に収容。(4月1日) | 第一次世界大戦に参戦 (8月) | |||||||||||
大正4年 1915年 |
・3代校長 高沢 義宣 先生着任 (9月) | 武蔵野軽便鉄道(池袋・飯能間)開通 旧小手指駅(現・西所沢駅)、狭山ヶ丘駅開業 |
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大正5年 1916年 |
高等科を併設し『富岡尋常高等小学校』と改称。(3月) 高等科に農業を加設科目とするの認可。(3月31日) 間口29間半、奥行き5間、5教室の平屋一棟を新築。(4月1日) ※ 上棟式4月13日、校長室に上棟式に使用した角柱がある。 |
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大正6年 1917年 |
第一分教所の尋常5,6年児童を本校に収容する。(1月15日) | ||||||||||||
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大正7年 1917年 |
・4代校長 高篠 彦平 先生着任(4月) | 第一次世界大戦終結 (11月) 市町村義務教育費国庫負担法公布 (6月) |
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大正8年 1919年 |
・5代校長 大野 勝蔵 先生着任(8月31日) 高等科に家事図書科を加設科目とするの認可(9月13日) |
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大正9年 1920年 |
富岡農業補修学校を併設(12月) | ||||||||||||
大正11年 1922年 |
全国水平社創立 (3月) | ||||||||||||
大正12年 1923年 |
第一分校を北岩岡(現在の西富小学校の位置)に移転改築(3月) ・6代校長 島崎 寿郎 先生着任(3月31日) |
関東大震災(9月1日) | |||||||||||
大正13年 1924年 |
本校に二階建て一棟 間口19間、奥行き5間半一棟3教室を新築(1月) ・7代校長 滝沢 昂 先生着任(4月) |
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大正14年 1925年 |
・8代校長 府瀬川 岩治 先生着任(4月) | 普通選挙法公布(5月) | |||||||||||
大正15年 1926年 |
大正天皇崩御(12月) | ||||||||||||
昭 和 時 代 | |||||||||||||
昭和2年 1927年 もどる |
青い目の人形がアメリカより贈られる。 | 東京浅草〜上野間に我が国最初の地下鉄開通 西武線高田馬場〜東村山間開通 村山貯水池(多摩湖)竣工 |
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昭和4年 1929年 |
山口線(現在の西武狭山線)開通 | ||||||||||||
昭和5年 1930年 |
校地が増築などにより狭くなったので、田代作次郎氏より校舎北側を借地し、運動場とする。 | 浜口首相東京駅で狙撃される。(11月14日) 満州事変起こる (9月18日) |
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昭和6年 1931年 |
満州国建国 (3月) | ||||||||||||
昭和7年 1932年 |
五一五事件 | ||||||||||||
昭和8年 1933年 |
・9代校長 金子 一郎 先生着任(3月) 奉安殿を奉築 (4月22日) |
日本 国際連盟より脱退 (3月27日) | |||||||||||
昭和9年 1934年 |
山口貯水池(狭山湖)竣工 | ||||||||||||
昭和10年 1935年 |
通学区域を廃止する。従って、北岩岡の東方一部は尋常1年より本校に通学する。(4月1日) ※ 第二分教所の尋常5,6年児童を本校に収容せんとす。中富父兄承諾せずついに盟休となり、小沢徳吉氏宅にて授業する。県地方課長裁定により解決。 第二分教所の尋常5,6年児童、本校に登学する。(4月28日) |
所沢大旱魃 青年学校令公布 (4月) 学校向けラジオ放送開始 (4月15日) |
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昭和12年 1937年 |
平屋建て 間口24間、奥行き5間半 4教室及び 間口4間、奥行き5間半の図書館を二階とし 更に 間口17間、奥行き7間の土足教室一棟を増築。(5月15日) ※ 校長室に上棟式使用の木片あり。 |
二二六事件起こる (2月) 所沢町に上水道完成 日中戦争起こる (7月) |
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昭和14年 1939年 |
・10代校長 利根川 一春 先生着任(3月) | ノモンハン事件 (5月) | |||||||||||
昭和15年 1940年 |
・11代校長 三ツ木 愛之助 先生着任(4月) | 日独伊三国同盟締結(9月) | |||||||||||
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昭和16年 1941年 |
小学校令が改正されたことにより『富岡国民学校』と改称する。(4月1日) | 国民学校令 (2月21日) 太平洋戦争開戦 (12月8日) |
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昭和17年 1942年 |
・12代校長 長島 覚一 先生着任(4月) | ||||||||||||
昭和18年 1943年 |
町村合併により『所沢町富岡国民学校』と改称する。(4月) ・13代校長 荒田 朝五郎 先生着任(4月) |
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昭和20年 1945年 |
太平洋戦争終戦 (8月15日) 文部省 新日本建設教育方針を発表 (9月) |
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昭和21年 1946年 |
・14代校長 渡辺 藍次 先生着任(4月) | 日本国憲法公布 (11月3日) | |||||||||||
昭和22年 1947年 |
教育基本法、学校教育法公布により、『所沢町立富岡小学校』と改称し、新制中学校発足により高等科を廃止する。(4月) ・15代校長 尾崎 新七 先生着任 (4月) 富岡教育振興会創立総会を開催 (8月5日) 新憲法実施記念事業として多年懸案となっていた井戸動力ポンプ完成 (9月1日) ※ 建設委員は小高周司、仲一郎、栗原正衛の三氏 実行委員中より専任せらる。 |
教育基本法、学校教育法公布(3月) 新制中学校発足 六三制実施 (4月) |
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昭和23年 1948年 |
・16代校長 武田 司郎 先生着任 (4月) 第一分校火災により全校舎を焼失 (4月18日) |
高等学校設置基準制定 (1月) 新制高等学校発足 (4月) 教育委員会法公布 (7月26日) |
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昭和24年 1949年 |
第一分校敷地を拡張、校舎を新築(教室7 付属舎特別室7)、従来の4年生までを6年生まで収容に変更。(4月29日) | 年齢のとなえ方 満年齢となる。 | |||||||||||
昭和25年 1950年 もどる |
第二分校校地を変更、校舎を新築(教室7 付属舎特別室2)して、6年生までを収容する。(5月5日) 市制施行により校名を『所沢市立富岡小学校』と改称、校旗を市教育委員会より下付される。(11月3日) |
所沢市 市制施行 (11月3日) 朝鮮戦争勃発 (6月) 湯川秀樹博士 ノーベル物理学賞受賞 |
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昭和26年 1950年 |
北所沢駅(現在の新所沢駅)開業 | ||||||||||||
昭和27年 1952年 |
校内放送の施設をする。(6月) | 西武線 新宿まで開通 全国市町村教育委員会設置 (11月) |
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昭和28年 1953年 |
県教育委員会より体育研究指定校を委嘱される。(4月) 水道施設される。(5月) |
NHKテレビ本放送開始 (2月1日) | |||||||||||
昭和29年 1954年 |
・17代校長 岸 八郎 先生着任 (4月) | ||||||||||||
昭和30年 1955年 |
中学校分離のため、二階建て校舎を取り壊す。(4月) | ||||||||||||
昭和31年 1956年 |
本校に特殊学級(促進学級)を設置 (2月) 第一分校と第二分校がそれぞれ『所沢市立西富小学校』『所沢市立中富小学校』として独立 (4月1日) |
地方教育行政の組織及び運営に関する法律公布 (10月1日) | |||||||||||
昭和32年 1957年 |
校歌を制定 (3月13日) ・18代校長 西島 喜代吉 先生着任 (4月) |
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昭和33年 1958年 |
昭和33年度 視聴覚研究校として、県教委より委嘱、年度内にテレビ3台を地区より寄贈される。(4月) 宿直室を増築 (4月) |
学習指導要領改訂 文部省 小中学校の道徳教育を義務化する。(4月) |
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昭和34年 1959年 |
・19代校長 吉田 善平 先生着任 (4月) | 伊勢湾台風 (9月26日) | |||||||||||
昭和35年 1960年 |
平屋校舎(音楽室1、普通教室1、準備室1)を西棟に増築 (1月) | 新安保条約成立 (6月) | |||||||||||
昭和36年 1961年 |
・20代校長 加地 幸光 先生着任 (10月) | ||||||||||||
昭和37年 1962年 |
特殊学級を精薄児対象とする (4月) 滑り台、回旋塔、バックネットを設備する (7月) 富岡小学校子供郵便局、県知事表彰、市長表彰を受ける。(11月) |
全国小中学校一斉学力テスト実施 義務教育教科書無償措置法成立 |
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昭和38年 1963年 |
八ミリ映写機を購入 (1月) 低鉄棒6間新設 (2月) 特殊学級1学級を増設して、低・高学年部の2学級編制とする。(4月) 所沢市特殊学級設置校に特殊教育研究を県教委より委嘱される。(6月) ミルク給食を実施 (10月) 雲梯 1基新設 (12月) |
1学級の定員45名となる。 | |||||||||||
昭和39年 1964年 |
裏校舎便所・渡り廊下屋根全面塗装 (2月) ・21代校長 小高 秋 先生着任 (4月) 市給食センターによる完全給食が実施される。(5月6日) 南北校舎の各教室に蛍光灯を取り付け (6月) 百人の鼓笛隊を編制される。(8月) ※ 楽器・服装はPTAの寄贈による。 給食受け入れ室を増設 (10月30日) 土足教室の床張り完成、西便所を新築 (12月15日) |
新潟大地震 (6月) オリンピック東京大会開催される。(10月) 東海道新幹線 営業開始 (10月) 朝永振一郎博士ノーベル物理学賞受賞 |
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昭和40年 1965年 |
はんとう棒を新設 (1月) ステレオ1台(97.000円)野口由次郎氏より寄贈される。(3月) 所沢市議会において富岡小学校校舎新築を決議 (3月26日) 富岡小学校子供郵便局 大蔵大臣より表彰される。(5月12日) 富岡小学校校舎建築協力会(54名)結成される。(5月18日) 新校舎起工式施行 (7月19日) |
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昭和41年 1966年 |
校舎竣工、新校舎(鉄筋3階建)に移転 (2月7日) ※ 総坪数 571坪 (約 1889 u) 総工費 約 4400万円 |
埼玉国体 | |||||||||||
昭和42年 1967年 |
体育館完成 (3月1日) | 川端康成ノーベル文学賞受賞 | |||||||||||
昭和43年 1968年 |
所沢市教育委員会委嘱研究『学校給食』発表 (2月27日) 富岡小学校子供郵便局 郵政局長より表彰される。(5月23日) |
大学紛争激化 学習指導要領改訂 ※ 教育の現代化を目指して改訂された。 |
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昭和44年 1969年 |
・22代校長 三ツ木 実 先生着任 (4月) 児童数の増加(403名)により校庭にプレハブ3教室を建設 (3月) |
西武池袋線 秩父まで開通 | |||||||||||
昭和45年 1970年 |
プール完成 (8月15日) | 公害問題深刻化 小手指駅開業 日本万国博覧会(大阪万博)開催 |
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昭和46年 1971年 |
伸栄小学校開校により、中新井、中台地区 学区変更 (3月) ・23代校長 加藤 誠 先生着任 (4月) |
所沢基地 60%返還 埼玉県民の日制定 |
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昭和47年 1972年 |
校地 382 u を拡張 (10月25日) フラワーヒル分譲開始 郊外マンションの入居開始、転入児童 6月中に 54名 |
沖縄祖国復帰 (5月) 日中国交回復 (9月) 札幌オリンピック開催 |
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昭和48年 1973年 |
校舎増改築工事完成検査 (4月3日) ※ 普通教室 11、音楽室、保健室、 旧校舎の改造 (第二期工事) 学校環境緑化植樹 (4月28日) |
江崎玲於奈博士ノーベル物理学賞受賞 石油ショック 国鉄武蔵野線開通し、東所沢駅開業 |
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昭和49年 1974年 |
創立百周年記念資料展並びに祝賀式実施 (2月15日) 創立百周年記念碑建立 (3月3日) |
佐藤栄作ノーベル平和賞受賞 教員人材確保法成立 教頭職法制化法成立 (9月) |
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昭和50年 1975年 もどる |
・24代校長 滝本 友之助 先生着任 (4月) | 学校教育法施行規則の一部改正 (主任の制度化) 防衛医科大学校開設 |
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昭和51年 1976年 |
第三期工事竣工 (特別教室・5教室)落成式実施 (5月1日) | 女子教員等育児休業法施行 ロッキード事件で政界騒然 |
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昭和52年 1977年 |
学習指導要領改訂 ※ 現代化から人間化へ、「ゆとりと充実」の教育を目指して改訂された。 |
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昭和53年 1978年 |
・25代校長 中村 敏雄 先生着任 (4月) 体育館新築のため旧体育館を解体 (8月31日) 合筆及び町名整備に伴い学校所在地を変更 (所沢市大字下富647−5) (10月1日) |
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昭和54年 1979年 |
体育館竣工 (3月) | 養護学校が義務化された。 西武ライオンズ球場開設 県立航空記念公園開設 国立リハビリテーションセンター開設 テレビ埼玉放送開始 |
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昭和56年 1981年 |
自転車置き場(西北側)寄付 PTA 54年度体育館落成記念事業として鼓笛隊の整備、音楽教育の充実のため楽器の寄付 楽器類 13品目 計 109万円 (3月31日) ・26代校長 吉田 敏雄 先生着任 (4月) 校庭聖地工事完了 勾配1000分の4 (9月25日) |
福井謙一博士ノーベル化学賞受賞 | |||||||||||
昭和57年 1982年 |
東北・上越新幹線開業 | ||||||||||||
昭和58年 1983年 |
放送大学開校 | ||||||||||||
昭和59年 1984年 |
焼却炉新設 (3月30日) ・27代校長 林 栄一 先生着任 (4月) プール内面塗装工事 (6月) |
臨時教育審議会発足 | |||||||||||
昭和60年 1985年 |
校舎窓枠改修工事 (8月) プールフェンス張り替え (8月) |
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昭和61年 1986年 |
職員室に湯沸かし器及び流し台設置 (2月) PTA奉仕作業により、一期校舎前に花壇設置 (6月) PTA奉仕作業により、通用門より西側通路に花壇設置 (8月) |
40人学級年次進行で実施 西武鉄道が所沢へ本社を移転(8月) |
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昭和62年 1987年 |
プールポンプ室新設、更衣室一部改修 (3月) ・28代校長 秦 誠 先生着任 (4月) 所沢市教育委員会委嘱研究『道徳教育』発表 (11月) |
早稲田大学人間科学部開設 西武新宿線 航空公園駅開設 国鉄民営化 |
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昭和63年 1988年 |
所沢市教育委員会委嘱研究『国語科』発表 (5月) | エフエム埼玉(NACK5)開局 | |||||||||||
昭和64年 1989年 |
日本大学芸術学部所沢校舎開設 昭和天皇崩御 (1月7日) |
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平 成 時 代 | |||||||||||||
平成元年 1989年 もどる |
校舎裏に受水槽・通用門を設置 (9月) 所沢市教育委員会委嘱研究『国語科』発表 (10月) |
学習指導要領改訂 ※ 個性重視の教育、生活科新設 消費税施行 |
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平成2年 1990年 |
・29代校長 野末 泰彦 先生着任 (4月) 平成二年度、三年度所沢市教育委員会委嘱研究『国語科』を受ける。(4月) 発表 (5月) 校舎外装工事完了 (8月) |
東西ドイツ統一 | |||||||||||
平成3年 1991年 |
所沢市教育委員会委嘱研究『国語科』発表 (5月) 所沢市教育委員会委嘱研究『国語科』発表 (10月25日) |
湾岸戦争勃発 (1月) 40人学級完了 ソビエト連邦崩壊 |
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平成4年 1992年 |
一階和室改修工事 (3月) | 学校週五日制実施 (9月) ※ 月一回 第二土曜日 |
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平成5年 1993年 |
観察池浄化装置設置、生活科用池・孔雀小屋建設 (3月) 校地内に学童収容施設完成 (3月) 校庭フェンス工事完成 (3月) ・30代校長 河西 哲弥 先生着任 (4月) 平成五年度、六年度所沢市教育委員会委嘱研究『図画工作』を受ける (4月) 平成五年度入間地区美術教育研究会の委嘱研究『図画工作科』を受ける。(5月) |
細川内閣成立(55年体制の崩壊) (8月) Jリーグ開幕(5月) 日本初の世界遺産誕生(法隆寺・屋久島・姫路城・白神山地 |
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平成6年 1994年 |
開校百二十周年祝賀式典実施、職員玄関南側にタイムカプセルを埋設
(3月1日) 平成六年度造形教育研究校として入間地区美術教育研究会より委嘱を受ける。(5月) |
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平成7年 1995年 |
学校週五日制実施 (4月) ※ 月二回 第二・四土曜日 阪神・淡路大震災(1月17日) 地下鉄サリン事件 |
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平成8年 1996年 |
平成八年度、九年度所沢市教育委員会委嘱研究『国際理解教育』を受ける。(4月) ・31代校長 大岩 征子 先生着任 (4月) |
埼玉ブロンコス創設(本拠地は所沢市民体育館) | |||||||||||
平成9年 1997年 |
所沢市教育委員会委嘱研究『国際理解教育』発表 (11月4日) | 消費税5%になる | |||||||||||
平成10年 1998年 |
長野オリンピック開催 | ||||||||||||
平成11年 1999年 |
地域読本『とみおか わくわく』発行 (3月31日) | 学習指導要領改訂 ※ 生きる力を育てる教育、総合的な学習の時間の新設 |
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平成12年 2000年 |
・32代校長 平井 孝雄 先生着任 (4月) 特殊学級(知的障害学級)を設置する。(4月) |
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平成13年 2001年 |
プール内面塗装工事 (7月) ホームページ開始 |
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平成14年 2002年 |
総合的な学習の時間 本格実施 ホームページ外部公開始める |
学校週五日制完全実施 (4月) ワールドカップ日韓共催 |
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平成15年 2003年 もどる |
・33代校長 杉渕 光芳 先生着任(4月) プールサイド塗装工事(6月) 校舎耐震工事(6月〜9月) 屋上防水工事(6月) 開校130周年記念事業開催(11月22日) |
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平成16年 2004年 |
現在のホームページに変更 正門門扉取り付け、その他門扉回収(3月) 冷水器設置3台 富岡小PTAより寄贈(7月) |
彩の国まごころ国体開催 | |||||||||||
平成17年 2005年 |
郵政民営化(10月) | ||||||||||||
平成18年 2006年 |
・34代校長 橋本 千惠子 先生着任(4月) | ||||||||||||
平成19年 2007年 |
給食室完成。自校給食になる。 ・ふれあい給食3回実施 (1回目齋藤市長、鈴木教育長、地域の市議会議員 さん等) (2回目 防犯パトロールスタッフの方と) (3回目 学校ボランティアの方々(図書ボランティア、 英語活動ボランティア)交通指導員さん) ・6年生によるバイキング給食 校舎大改修工事設計(9月) |
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平成20年 2008年 |
校舎西側外壁塗装完了(9月) | ||||||||||||
平成21年 2009年 |
・35代校長 遠藤 尚之 先生着任(4月) | 鳩山内閣発足(9月) 裁判員制度開始 西武バス所沢営業所が下富に移転 |
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平成22年 2010年 |
特別支援学級を設置。(自閉症・情緒学級) 天井扇風機設置、5、6年教室(6月) |
菅内閣発足(6月) トコろん誕生(市制施行60周年記念事業の1つ) |
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平成23年 2011年 |
所沢市学び改善プロジェクト推進事業モデル校研究委託 天井扇風機設置、1〜4年教室(8月) 図書室にエアコン設置 |
学習指導要領改訂 ※生きる力の育成を継承しつつ、詰め込みでもゆとりでもない教育、外国語活動新設 1年生35人学級実施 東日本大震災(3月11日) テレビ放送がデジタル化(7月) 野田内閣発足(9月) |
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平成24年 2012年 |
金環日食観測会(5月) 体育館耐震補強工事完成(9月) 開校百四十周年記念事業実行委員会発足 |
2年生までで、35人学級実施 東京スカイツリー開業 第二次安倍内閣発足(12月) |
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平成25年 2013年 |
36代校長 山中 徳子 先生着任(4月) 冷水器2台 富岡小PTAより寄贈(7月) 開校百四十周年記念事業(音楽のつどい、クリーン作戦、運動会、航空写真撮影) 開校百四十周年記念式典(11月22日) |
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平成26年 2014年 |
31年半続いた『笑っていいとも!』放送終了 消費税が8%になる |
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平成27年 2015年 |
埼玉県学校給食調理コンクール 課題献立部門「埼玉県給食会理事長賞」受賞(トコろんすきすき焼きうどん) コンピューター室にタブレット型パソコン導入 トイレ改修工事完了(10月) 体育館・渡り廊下改修工事(12月〜3月) |
埼玉県出身、梶田博士ノーベル賞受賞(10月) 北陸新幹線延伸開業(長野‐金沢間) |
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平成28年 2016年 |
熊本地震 北海道新幹線開業(青森‐新函館北斗間) 18歳選挙権施行 |
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平成29年 2017年 |
37代校長 藤井 宣文 先生着任(4月) | ||||||||||||
平成30年 2018年 もどる |
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平成31年 2019年 |
天皇退位(4月30日) | ||||||||||||
令 和 時 代 | |||||||||||||
令和元年 2019年 |
臨時休業(3月2日〜) | 皇太子徳仁即位(5月1日) 新型コロナウィルスのため臨時休業(3月2日〜) |
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令和2年 2020年 |
38代校長 小山 義昭 先生着任(4月) 、臨時休業(4月8日〜5月31日) 入学式・始業式6月1日 GIGAスクール構想により、一人一台のタブレット設置 |
新型コロナウィルスのため、臨時休業(4月8日〜5月31日) |
富岡小学校の歴史