■三富の寺 多福寺■
元禄九年八月、吉保は開拓農民の心のよりどころとして、上富村に臨済宗三富山多福寺、中富村に祈願所として毘沙門社(別当寺多聞院)を建立しました
■出身地の異なる者たちが寄り集まってくる新田村落での生活のため、寺社の建立によってなおさら村民としての一体的まとまり、連帯感情を作り出していくことが必要でした。
■三富新田に入村した農民たちは、この時まで上富村は亀久保村(現大井町)地蔵院、中富村、下富村は大塚村(現川越市)西福寺を菩提寺としました。
以来、多福寺は、三富農民の精神的支柱として、大きな役割を果たしていきました。
参考資料:三富新田の開拓・・・・三芳町教育委員会
多福寺の銅鐘
埼玉県指定有形文化財